繰り返す道


 文月を No.28 で東京に連れて行って以降、ほとんど使わなくなった。
 手間暇掛けてカスタマイズしてきたのに、使わなくなったのには当然ながら訳がある。

 文月を通して、私にとってのモバイルマシンのイメージがまた修正された。
 いつも側に置いて、いつも使うし、使いたいときにも使えること。有ったら便利だろうと、あれもこれもと欲張った機能を持たせるのではなく、スケジュール管理&辞書& Web マシンに特化するのが一番のようだ。「いつも使う」というのは重要なポイントだと考える。例えばメイン機は、自分が自宅にいる時間とほぼ同じくらい電源が入っている時間があるが、モバイルパソコンでもそれくらい「いつも使える状態」でないと、億劫になって使わなくなってしまいそうだ。また、いつも使わなければならない理由を作ることで、モバイルの灯を点しておくことも効果的だろう。そのためには「スケジュール管理」&「辞書」ソフトは必須とも言える。
 まぁ、当たり前と言えば当たり前の結論だが、懲りないと夢も現実には近づかないわけで、そういう意味では文月は自分なりの「モバイル」の「終着点」ではなく、また「乗換駅」にしてなってしまった。

 ところで、内蔵ディスクのフラッシュ化を忘れては居ない。文月プロジェクトから2年、フラッシュディスクは相変わらず高いままだが、コンパクトフラッシュの大容量化と低価格化はめざましく、コンパクトフラッシュを2.5"ディスクのように使えるアダプタの普及(?)もあった。
 モバイルマシンの目的が絞れ、インストールするソフトが減れば、自ずと必要なディスク容量は減るわけで、今なら(資金的に)そんなに無理をしなくともフラッシュ化ができそうである。


 夢は潰されても、希望はまた夢を創る。文月の「遺志」を継ぐ物は既に現れている。






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